本堂
神社の本殿や寺院の本堂におけるご神体或いは、ご本尊を安置してある神聖な場所をいいます。
不動明王(ふどうみょうおう) 安楽院ご本尊
不動明王は梵語で阿遮羅曩他比地耶羅惹(あしゃのうたびちやあらじゃ)と言います。
訳して不動威徳明王(ふどういとくみょうおう)、略して不動明王と言います。不動とは悟りの心が堅固にしていかなることあるとも動かぬということです。この佛様は大日如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)と言って佛様の教法に邪魔するものあればこれを征服されます。
済度しがたい強い三毒の煩悩に縛られていると、大日如来が姿を変えてその煩悩を断ち切り、悟りを開かせて下さいます。間違った者は叱って正しい方へ導いて下さいます。
ご真言:のうまく さんまんだー ばーさらだ せんだん まーかろしゃーだー
そわたや うんたら たーかんまん(慈救呪 じくのしゅ)
のうまく さんまんだー ばざらだんかん(一字呪 いちじのしゅ)
「お不動さん」の名で親しまれ、大日大聖不動明王(だいにちだいしょうふどうみょうおう)、不動尊などとも呼ばれています。ご縁日は毎月28日です。
内陣中央に祀られています。ご真言は火界呪(かかいのしゅ)、慈救呪(じくのしゅ)一字呪(いちじのしゅ)があります。
弘法大師(こうぼうだいし)
平安前期の真言宗の開祖です。宝亀5年(774年)、讃岐の国屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれた。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀大足(あとのおおたり)の娘。幼名を真魚(まお)。
20代の若き頃四国室戸岬の御厨人窟(みくろど)で修行をしているとき、口に明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛び込んできたと記されている。このとき悟りを開いたといわれ、当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で目にしていたのは空と海だけであったため名前を空海(くうかい)とする。
留学僧として唐に渡る。青竜寺(しょうりゅうじ)の恵果和尚より真言密教の秘法を授かり日本に帰る。和歌山県伊都郡高野山に金剛峯寺(こんごうぶじ)を建立し、また東寺を真言密教の道場とし綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創立。承和2年(835年)高野山で御入定(ごにゅうじょう)。
ご宝号:南無大師遍照金剛(なむだいし へんじょうこんごう)
▲修復前 ▲ 修復後(令和2年6月21日)
内陣向かって右側に祀られています。ご縁日は毎月21日です。
千手千眼観世音菩薩(せんじゅせんげんかんぜおんぼさつ)
千の手を持ち,それぞれの手の掌(たなごころ)に目のある観音さまです。実際に千本の手で作られている尊像もありますが一般的には四十二臂(ひ)といって千の手を四十二本で表しています。
千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音さまのお慈悲と力の広大さを表します。胸の前で合掌する二本の手を除いた四十本の手が、それぞれ二十五の世界を救うといわれています。
ご真言:おん ばざら たらま きりく
位牌堂に本尊様と背中合わせに祀られています。ご縁日は毎月18日です。
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
菩薩でありながら僧形。右手に錫杖(しゃくじょう),左手に宝珠(ほうしゅ)を持っています。
日本では平安時代から広く信仰され,とくに子供の守り佛とされる。
ご真言:おん かかか びさんまえい そわか
▲修復前 ▲修復後(平成29年2月19日)
位牌堂に祀られています。ご縁日は毎月23日です。
十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
十一面観世音菩薩は衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩で、頭上に十一の顔を持ち全方向を見守っていられます。
ご真言:おん ろけい じんばら きりく
菅原道真公(すがわらみちざねこう)が観世音菩薩への信仰が篤かったことにも由来し、神佛習合思想から菅原天神の本地佛(ほんじぶつ)として十一面観世音菩薩が隣の菅原神社に祀られていました。
明治初年、神佛分離令が発令され菅原神社の別当であった安樂院に十一面観世音菩薩立像を移し現在に至っています。内陣向かって左側に祀られています。天神様のご縁日は毎月25日です。
大壇(だいだん)
内陣中央に導師(どうし)が修法(しゅほう)に用いる正方形大型の壇で大きさは主に幅が三尺から六尺ですが当山では五尺四方です。
四隅に細い棒状の橛(けつ)という柱を立て,これに壇線という五色の糸でよった金剛線を引き回し四方を囲みます。四隅、中央に五つの花瓶(けびょう)があり蓮の花に似せた木製の五色の花が入っています。
写真手前の導師が座する処を礼盤(らいはん)、左に脇机、右に磬台(けいだい)を設えます。大壇外側の灯りを四灯(しとう)といいます。昔は菜種油などの入った器に灯芯を使い火を灯していました。
礼盤前の真ん中に据えた香炉を火舎(かしゃ),その左右に三つずつ並べた碗状の六器(ろっき),火舎のすぐ向う側に据えた金剛盤(こんごうばん)上の五鈷鈴(ごこれい)と五鈷(ごこ)があり,盤上五鈷の左右には三鈷(さんこ)と独鈷(とっこ)を据える。
内陣(ないじん)
内陣は外陣(げじん)に対する言葉です。内陣・外陣は扉や格子戸,あるいは結界(けっかい)を設けて区別しています。須弥壇(しゅみだん)のある中央部を内陣と呼んでいます。密教系の寺院では,内陣を外陣と厳重に区画する場合が多い 。(世界大百科事典 第2版の解説より抜粋)
内陣左右の大きな鉢形の鳴物は黄銅を鎚起(ついき)技法による本手打ちで1枚の分厚い板をたたきながら底部は薄い所で1ミリ、縁が元の板の厚さで磬子(けいす)と称します。
向かって左(径 尺5寸)は17回忌まで、向かって右(径尺8寸)は23回忌よりそれぞれ檀信徒法事の際に使用します。音の高低、音質それぞれに趣きがあり、叩いた後の残響は長く数分に達します。
磬子の刻印は”金龍子(きんりゅうし)”と入っています。左(径 尺5寸)の作者は塩見捨三郎氏(平成7年1月5日寂)、右(径尺8寸)の作者は故塩見捨三郎氏の御子息塩見美樹氏です。親子二代の磬子です。
外陣(げじん)
内陣に対する語。外陣を参拝者の礼拝の場所としている。
向拝(ごはい) 唐破風(からはふ)造り
本堂内に入れない時にここで礼拝する。
向拝下、階段中央に設えた香炉(本小松石)